ざっくりでも観光スポットの歴史を知っていると横浜をもっと楽しめそうだよね
4つの出来事を境に5つの時代区分で考えると街並みを理解しやすいよ
こんな人にオススメ
- 横浜観光をしたい人
- ざっくりと歴史を知っておきたい人
- 観光ガイドを手配するのが難しい人
このブログ記事にたどり着いて頂きありがとうございます。
「途次大志の備忘録」の執筆者で横浜在住20年の途次大志(toji-taishi)です。
横浜の観光スポットを巡るなら「ざくっとした」街並みの歴史くらいは頭に入れておくともっと楽しめそうです。
有料の観光ガイドの人に案内してもらうのがベストでしょうが、日程調整も間に合いそうにないのなら、この記事をご活用ください。
- 大雑把な横浜の歴史の流れを知る
- 「4つの出来事」の年号を知る
- 「5つの時代区分」で考える
横浜の歴史をざっくりと知りたい
年間3,000万人を超える観光客が訪れる横浜の歴史をなんとなくでも知っておくと、貴重な機会を利用して来てくれる海外からの観光客の役に立てるかもしれません。
横浜の海沿いの観光スポットを巡るのにお得な乗り放題一日券の情報は下記の関連記事が参考になります。
観光スポットを線や面で理解したい
横浜、みなとみらいから元町の海沿いエリアだけでも観光スポットはたくさんあります。
横浜の歴史をざっくりと知ることで、観光スポットの関係性が線でつながり、面となって理解できると楽しそうです。
横浜在住20年で散歩がてら横浜中央図書館にもたびたび訪れ、横浜の歴史をざっくりと理解するためのヒントを見つけましたのでご紹介します。
4つの出来事
なにごとも自分自身で調べるのが一番なのでしょうが、なかなかそうはいかないものです。
私なりに横浜の歴史に関する書籍から街並みに影響を与えた4つの出来事があることに気づきました。
- 1859年 横浜開港
- 1923年 関東大震災
- 1945年 横浜大空襲
- 1989年 横浜博覧会
横浜の歴史に関する本はたくさんありますが、その中でも今回参考とした本を記事の文末にまとめておきます。
5つの時代区分
先に紹介した4つの出来事を境に横浜の街並みの歴史を5つの時代区分としてとらえると理解しやすくなります。
- 横浜開港以前
- 横浜開港以降
- 関東大震災以降
- 横浜大空襲以降
- 横浜博覧会以降
横浜の街並みは4つの出来事を境に発展してきたという捉え方をすると理解がしやすくなります。
横浜中華街「関帝廟」を例に
横浜中華街に「関帝廟」という観光スポットがあります。
- 横浜開港以前:中華街がまだない
- 横浜開港以降:初代が建立
- 関東大震災以降:二代目が建立
- 横浜大空襲以降:三代目が建立
- 横浜博覧会以降:四代目が建立
関帝廟を例にすると「横浜開港以前」の時代区分では日本が鎖国をしていたことから横浜中華街はなく関帝廟も存在していません。
「横浜開港以降」に関帝廟の原型とも言える「ほこら」が開設され、1871年に本格的な初代となる関帝廟が建立されました。
しかし1923年の関東大震災で倒壊してしまい「関東大震災以降」の1925年に二代目の関帝廟が再建されます。
第二次世界大戦末期の戦火で消失するも約2年後に三代目の関帝廟が「横浜大空襲以降」に再建されました。
しかし今度は1986年の火災に見舞われ1990年の「横浜博覧会以降」に現在の四代目となる関帝廟が完成しました。
このように関帝廟という横浜の観光スポットを「4つの出来事」を境とした「5つの時代区分」に分けて考えると横浜の歴史が線や面でつながってきそうです。
横浜の街並みざっくり歴史
横浜の街並みをざっくりと理解するために4つの出来事を境にした5つの時代区分をこれまたざっくりと表現してみましょう。
- 横浜開港以前:「未開」
- 横浜開港以降:「発展」
- 関東大震災以降:「復興」
- 横浜大空襲以降:「再建」
- 横浜博覧会以降:「整備」
ざっくりですが横浜港の開港に始まり、急激な発展を遂げたものの関東大震災で多くを失い、街並みを復興したと思ったら今度は戦争で焼かれ、横浜博覧会を機にさらに魅力的な街並みに整備されていったという流れを掴んでもらえるでしょう。
①横浜開港以前
黒船来航から溯ることおよそ200年前の横浜の様子が「横浜を創った人々(冨川洋著)」に描かれており、1656年(明暦2年)頃の「横浜村」はのどかな里村だったと表現されています。
1667年(寛文7年)に吉田勘兵衛が手掛けた横浜村開墾(吉田新田)が完成し、後の横浜発展の足掛かりとなるものの「横浜開港以前」の横浜はまだまだ「未開」の地と言えるでしょう。
②横浜開港以降
幕末の1853年に黒船が来航し、1859年の「横浜開港以降」の明治を中心としたこの時期はまさに横浜にとって「発展」の時代です。
1872年(明治5年)に日本で最初の鉄道が新橋横浜間に開通し、1904年(明治37年)には横浜の街に路面電車(電気軌道)が走り始めます。
1921年(大正10年)には鉄道も電気やガス、水道と同様に公営化すべきという社会の気風を受けて私企業(横浜電気鉄道)から横浜市営電気軌道(横浜市電)に市営化されました。
③関東大震災以降
横浜開国以降、発展を続けてきた横浜は1923年(大正12年)9月1日正午直前に関東大震災に見舞われます。
今の西区、中区を中心とする横浜、桜木町、関内、元町など中心部が激しい揺れと火災により消失し、多数の貴い命が奪われました。
大さん橋も陸地側から三分の二が崩壊してしまったようです。
帝都復興計画の一環として「横浜市復興都市計画案」に基づいて復興事業が進められ、山下公園も新設されました。
この「関東大震災以降」の時代区分は横浜にとって「復興」の時代と言えるでしょう。
④横浜大空襲以降
1945年(昭和20年)の第二次世界大戦末期、横浜は米軍の焼夷弾爆撃、つまり空襲を受けます。
5月29日の朝、西区、中区を中心とする横浜、桜木町、関内など都心部に短時間に集中して大量の焼夷弾が投下され、数千人の横浜市民が焼死しました。
終戦後の1949年(昭和24年)、横浜は「横浜市建設計画」を作成し、戦災からの都市再建計画を進めていきます。
1972年には市民の足であった市電が全廃され、横浜市営地下鉄が開業しました。
この「横浜大空襲以降」の時代区分は横浜にとって「再建」の時代と言えるでしょう。
⑤横浜博覧会以降
1989年(平成元年)3月25日から10月1日の期間で横浜博覧会が開催されました。
臨海副都心(東京)、幕張新都心(千葉)、南港(大阪)、ポートアイランド(神戸)と並ぶ国内の「ウォーターフロント開発」の一環です。
今のみなとみらい地区は以前の横浜博覧会会場を中心とした跡地と言えるでしょう。
グランモール軸、クイーン軸、キング軸の3本の都市軸を中心に開発されており、グランモール軸沿いに横浜美術館(1989年)、クイーン軸沿いにはパシフィコ横浜(1991年)、キング軸沿いには横浜ランドマークタワー(1993年)が建設されました。
この「横浜博覧会以降」の時代区分はみなとみらい地区だけでなく横浜にとって「整備」の時代と言えるでしょう。
まとめ
海外の人も多く訪問する横浜の歴史をざっくりと掴んでいただけたでしょうか。
「4つの出来事」を境とした「5つの時代区分」で横浜の街並みを眺めると、その時代の空気感も想像できるでしょう。
観光スポットを訪れる楽しさは、実物を目の前にして、これまでの自分自身の経験や知見と照らし合わせて想いを巡らすことでもあるでしょう。
横浜、みなとみらいから元町の海沿いエリアの観光がより充実感があるものになれば嬉しい限りです。
主な参考文献一覧
内田四方蔵「ハマッ子の歴史 その感性と素顔」
横浜都市発展記念館「地図で探る横浜の鉄道」
若竹馨「横浜みなとみらい21 創造実験都市」
横浜を創った人々
日本史のなかの横浜 (有隣新書77)
横浜中華街―街づくりはたたかいだ (わが人生)
開国日本と横浜中華街 (あじあブックス)
横浜の関東大震災
新版 大空襲5月29日 ―第二次大戦と横浜 (有隣新書19)
最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。これからも良質な情報をお届けできるよう精進いたします。今後とも「途次大志の備忘録」をお引き立ての程、よろしくお願い致します。 途次大志