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ぴよぴよ

会社の成長って社長ひとりで達成できるのかな?


みかんみかん

社長一人で達成できるものなら簡単だろうね


横浜の歴史を知ると現在の日本のカタチの原型が、開港を経た明治期に誕生したことを強く再認識させられます。そこで分厚い本、書籍「産業技術史」を読み始めました。明治期の発展は、明治政府によって「国家主導で達成されたのだろう」と単純に考えてしまいますが、どうやらそれだけではなかったようです。工業化という意味での発展は、大きくは2つの流れがあったようです。1つは、想像通りの工部省の設立など国家としての取り組みです。そして、もう一つは江戸時代から続く「在来手工業」によるものだと書かれています。工部省は1870年に発足し、わずか15年後の1885年に廃止になったことを考えれば、むしろ国家的な取り組みよりも「在来手工業」の発展の方が重要であったと言えるのかもしれません。ここでは明治期の発展に大きく寄与した「在来手工業」について整理してみましょう。

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江戸時代からの「在来手工業」

江戸時代以来の在来手工業
明治期の発展に大きく寄与した江戸時代からの「在来手工業」と聞いても、正直なところピンとこないかもしれません。ただし「生糸」と言わればイメージがしやすくなるのではないでしょうか。1859年に横浜が開港し、外国人は日本の生糸、陶器、漆器、茶、水産物加工品、蚕卵紙(さんらんし)に大きな関心を寄せたようです。ちなみに蚕卵紙(さんらんし)とはカイコの養殖に使用する紙のことのようです。

江戸時代の主な在来手工業

・生糸
・陶器
・蚕卵紙(さんらんし)
・漆器
・茶
・水産加工物

これらの日本古来の産物がどんどん輸出されか活況呈したようです。そう言えば、横浜の山下公園の近くに、通称シルクセンター(シルクセンター国際貿易観光会館)というのがありますね。いずれにしろ、こうした「在来手工業」が産み出す貿易が、国家主導の取り組みよりもむしろ明治期の発展に大きく寄与したようです。

外国人にとっての産物自体の魅力だけでこうした発展が達成されたというのは、どうやら安易な解釈のようです。産業が実際に発展するためには、様々な要因が必要でありそうです。少なくとも「在来手工業」を運営する組織体が、江戸時代に比べれば大きく変わり、株仲間、株式会社を組織することで、資金面だけでなく、専売制などの規制を撤廃するということにつながったようです。また輸出だけでなく、輸入という点で言えば、身分制の軽減により、日本の人たちが比較的自由に服装を選択できるという「平等」ということも「在来手工業」発展の要因の一つと考えられているようです。日本の市場、つまり日本の消費者が外国製の木綿や毛織物に触れ、国内で流行することにより、「在来手工業」に新しい刺激を与え、輸入糸を使った新しい織物などの産物を輸出するという流れがあったようです。
このように「在来手工業」の発展には、少なくとも組織化によるお金、規制緩和のような政治への働きかけ、さらに平等という価値観から起こった市場変化に基づく商業文化といった事柄が影響を与えていたと言えるのでしょう。

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「在来手工業」の発展

在来手工業の発展
明治期の「在来手工業」の発展を、もう少し詳しくみていきたいと思います。生糸など外国人が関心を寄せる日本古来の産物による貿易が、右肩上がりで発展していったかというと、そうではないようなのです。

「在来手工業」の発展に関連する主な出来事

1859年 横浜開港
↓在来手工業の活況
↓劣悪品質による低迷
↓品質向上への取り組み
↓在来手工業の再発展

1859年の横浜開港以来、確かにこれらの産物の輸出が増大し、国内需要の増加もあって、在来手工業は大いに活況を呈しました。ただ、こうした活況が続くと、劣悪な品質のものも増えたようです。こうした点は、ビジネスからも容易に想像できます。ただ、ここで明治期を生きた日本の人たちが偉いと思うのは、ここから品質の向上に取り組んだ点です。こうした努力により、品質向上を果たし、在来手工業の再発展を果たしたのです。別記事でもご紹介した通り、挫折や無力感を乗り越える気質のようなものが、日本人の特質として存在しているのであれば、歴史が今を生きる私自身を励ましてくれるように感じます。

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明治期の「在来手工業」の発展から学ぶこと

江戸時代、いやそれ以前から偉人だけでなく名もなき人たちが培ってきた「在来手工業」が、横浜開港という「チャンス到来」の機会を得て、貿易と国内需要の高まりで「チャンスを掴む」ことで急激な発展を果たす。ただ調子に乗っていると、劣悪品の発生により「ボロが出る」という窮地に追い込まれてしまう。そうした窮地に挫折せず、無力感を乗り越えて「改善への努力」を続けることで「再びチャンスを掴む」ということが生まれるのだろうと感じます。

明治期の「在来手工業」の発展から学ぶこと
① チャンス到来
② チャンスを掴む
③ ボロが出る
④ 改善への努力
⑤ 再びチャンスを掴む

仕事においても、生活においても、多くの事柄が、簡単に右肩上がりにうまく進むとは限らないものです。調子の良さに踊らされて先ばかりを見ていると、足元をすくわれて、一挙に窮地に追い込まれてしまうことは容易に想像ができます。ただ、そんな時に嘆いたとしても、腐らずに再起に向けて努力を続ければ、再び道が拓けるということもあるでしょう。少なくとも、明治期の「在来手工業」の発展の歴史が、ひとつの事例として示してくれているように思います。

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参考文献

新体系日本史11「産業技術史」中岡哲朗等 著

このブログ記事にたどり着いて頂きありがとうございます。「途次大志の備忘録」の執筆者の途次大志(toji-taishi)です。

最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。これからも良質な情報をお届けできるよう精進いたします。今後とも「途次大志の備忘録」をお引き立ての程、よろしくお願い致します。 途次大志

Title toji-taishi-no-bibouroku途次大志のプロフィール紹介

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