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ぴよぴよ

何かに取り組み始めた時に大事なことは?


みかんみかん

「情報の整理」もそのひとつだろうね

横浜の歴史から興味が湧いてきた日本の産業の歩みを知るために、分厚い本「産業技術史」を読み進めることにしました。1853年の黒船来航により、当時の支配階級である侍たちは戦闘の準備として、自前で技術を取り入れていこうとしました。ただ薩英戦争や下関戦争の敗北を経て、圧倒的な軍事力の差を痛感し、海外へと学びを求め、そこで得た知識や経験はやがて新政府の運営に活かされていくこととなったようです。

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明治期の工業化思想の核

世界の工業化は、イギリスを起点とし、フランス、次にドイツ、アメリカへと広がっていったようです。幕末、明治の人たちは、軍事力の差を痛感し、西欧へと学びにいきました。たとえば「西の五代」と呼ばれた五代友厚は1865年に欧州へと旅立ち、「東の渋沢」こと渋沢栄一は1866年にパリ万博の視察へと旅立ったようです。彼らのような将来にまだまだ生きる時間を残す若者が、将来の日本のために役立つと考えた西洋の国力の秘密はどんなものだったのでしょうか。
明治期の工業化思想の核
書籍「産業技術史」では、海外を経験した者たちが持ち帰った日本を工業国へと導く鍵は、主に上の図に挙げる4点であったであろうと書かれています。その明治期の工業化思想の核となる4点とは、「産業(工業)」「商業(貿易)」「株式会社」「平等」ということのようです。

明治期の工業化思想の核
  • 産業(工業)
  • 商業(貿易)
  • 株式会社
  • 平等

「産業(工業)」はもちろんとして、「商業(貿易)」の育成の必要性も容易に理解できます。それらに加えて「株式会社」という組織の必要性に着眼していることは興味深い点です。さらに、幕藩体制の上が下を支配するという「当たり前」の中で、「平等」の必要性を、他の3点と同等な扱いとして持ち帰った点に、個人的には尊敬の念を感じます。

おそらく昔も今も「平等」という概念は、人々が求めていたのだろうと想像します。ただ、その「平等」という概念を理解することは非常に難しいようにも思います。200年以上続く幕府が支配する世の中で、人が生まれ、人が去っていく日常を過ごす当時の人達にとって、現実的に求める「平等」は現代とは少し違うのかもしれません。いずれにしろ、彼らが先進国から持ち帰った工業化思想の種が、新政府の中で「工部省」というカタチで見える化されていくことになるのです。

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工部省の「十寮一司」体制

新政府が1866年に動き出し、西洋で仕入れた日本を工業化に導くための経験と知識が「工部省」という組織の発足へと繋がっていったようです。
工部省の「十寮一司」体制
1870年に発足した工部省の組織は上の図に示した通り「十寮一司」と呼ばれているようです。工部省の組織体制を見ると、当時を生きていた人たちがどのように「日本を発展させるために必要不可欠な事柄」を捉えていたのかということが、より具体的に見えてくるように思います。

「十寮」は4項目の「1等寮」と6項目の「2等寮」から編成されていますが、1等寮として「工学」「勧工」「鉱山」「鉄道」が含まれています。「勧工」とは、百工の勧奨を任務としているようです。先程、ご紹介した海外経験者が持ち帰った4つの工業化思想と照らし合わせると、工部省の「工学」はそのまま「産業(工業)」、「勧工」は「商業(貿易)」ということになるのかもしれません。より具体的な産業として、「鉱山」「鉄道」を1等寮とし、「土木」「灯台」「造船」「電信」「製鉄」「製作」を2等寮と組織として表現されています。さらに、別枠として「一司」として「測量」が設けられています。

工部省の「十寮一司」体制

十寮:1等寮:工学・勧工・鉱山・鉄道
十寮:2等寮:土木・灯台・造船・電信・製鉄・製作
一司:測量

ここに挙げられた「十寮一司」の項目が、日本を欧米列強と肩を並べるために不可欠な事項であり、さらに言えば完全に立ち遅れている点だということを意味しているように思います。

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整理することの重要性を教えてくれる

工部省の「十寮一司」体制は、その組織としての活動だけでなく、日本が発展するための課題の整理と明示化という意味での寄与を果たしたのではないかと考えられなくもありません。「先進国に追いつき、追い越せ」と口で言うのは簡単でしょうが、一体、「何に取り組むべきか?」を整理することが、最初の大きな一歩であるように思います。漠然とした目標であるにも関わらず、当時、度胸と勇気を持って海を渡った人たちが、その指針ともなるべき要点を掴んで帰国したということでしょう。さらに、実践へと結びつけ、工部省のカタチとして明示するとともに組織化を果たしたと言えるのかもしれません。

ビジネスの場面でも、克服すべき漠然とした課題というのは、どこの組織にもあるのでしょう。早い段階に「課題の整理」を行うことは、成長を導くための定石とも考えられますが、そもそも整理をするための前段となる「要点を掴む」ということすら容易ではないように感じます。明治期以降の日本の工業化の発展を支えたひとつの要因に、彼らの行った「課題の整理」が位置づけられるのだとしたら、改めてその重要性を認識すると、今を生きる自分にも役立つように感じます。

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参考文献

新体系日本史11「産業技術史」中岡哲朗等 著

最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。これからも良質な情報をお届けできるよう精進いたします。今後とも「途次大志の備忘録」をお引き立ての程、よろしくお願い致します。 途次大志

Title toji-taishi-no-bibouroku途次大志のプロフィール紹介

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