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ぴよぴよ

横浜の人口は停滞したり大幅に減少したりしながら戦後はジャンジャン増加してきたんだね


みかんみかん

人口が約4割も減少した時期の横浜の出来事は知っておいた方が良さそうだよ

こんな人にオススメ

  • 横浜の人口の推移を知りたい人
  • 約4割も人口が減少した出来事を知りたい人
  • 横浜で暮らしている人

横浜の人口推移から知る
横浜大空襲という
歴史上の出来事YRK10
このブログ記事にたどり着いて頂きありがとうございます。

「途次大志の備忘録」の執筆者で戦後産まれの途次大志(toji-taishi)です。

縁があって住んでいる場所のことはせっかくなら知っておきたいものです。

20年以上暮らしているとなんとなく横浜の歴史を知っているつもりでも、調べ始めると改めて理解できることも増えてきます。

横浜市の人口の推移を調べていく過程で、かつて大幅な人口減少の時期があり、その要因の一つに横浜大空襲が関係していることを知りました。

横浜大空襲を調べて知ったこと
  • 山手地区を避けた精密な空襲
  • 関東大震災発生の日と同じ南風
  • 希望的観測「アメリカは爆撃しない」

横浜の歴史的に大規模な人口減少

イメージ夜景観覧車みなとみらい
横浜は1959年の開港以来、ずっと右肩上がりで人口が上昇し続けていったのだろうとなんとなく感じていました。

調べてみると決して順調な右肩上がりの人口増加ではなかったようです。

横浜市の人口推移

横浜市の人口の推移YRK10
横浜市の公式サイトにある「横浜人口のあゆみ2010」を調べてみると1923年の関東大震災前後に人口が停滞しています。

書籍「横浜の関東大震災」にも横浜開港50年祭(1909年)が開催された2年後の1911年に横浜市は周囲の町や村を合併し人口が44万人を超えたものの停滞気味で浮き沈みがあったと書かれています。

停滞期を過ぎ1930年頃から人口が増え始め1942年10月1日の調査では100万人を超えました。

しかしその後、多少の浮き沈みとは言えないほどの大規模な人口減少が見られます。

その要因の一つが第二次世界大戦です。

終戦後の1945年11月1日の人口調査では1942年の戦前の人口から約4割減少した62万人と報告されています。

1941年のアメリカへの真珠湾攻撃から始まった戦争の末期には兵役や疎開などで横浜の人口が減り始めていき、さらに1945年に空襲が横浜を襲いました。

著しく減少した横浜の人口は戦後、1889年に横浜博覧会が開催される頃には300万人を超え、令和を迎えた2019年には370万人を超えました。

横浜市の人口増加率

横浜市の人口増加率YRK10
人口の増加が必ずしも横浜の発展を意味するわけではありませんが、ひとつの目安として時代区分ごとの横浜市の人口の増加率を見てみましょう。

先ほど紹介した横浜市の人口の推移から各時代区分ごとの人口の差を年で割ってみました。

単純な比較はできないものの1945年の横浜大空襲以降つまり戦後直後が横浜にとって人口が一番増加し、次いで関東大震災から横浜大空襲までの期間の増加率が高いことがわかります。

関東大震災、横浜大空襲を乗り越え横浜がたくましく発展していった姿が見えるような気がします。

横浜市の人口増加率の算出方法

【横浜開港以降】
(1920年人口)-(1889年人口)/31年

【関東大震災以降】
(1942年人口)-(1925年人口)/17年

【横浜大空襲以降】
(1985年人口)-(1945年人口)/40年

【横浜博覧会以降】
(2019年人口)-(1990年人口)/29年

4つの出来事と5つの時代区分

4つの出来事と5つの時代区分YRK10
横浜の人口が約4割も減少した第二次世界大戦とそれに伴う1945年の横浜大空襲の歴史上の出来事を改めて理解しました。

横浜の歴史を「4つの出来事」から分類される「5つの時代区分」を頭に置きながら横浜大空襲の歴史的な位置づけを考えていきたいと思います。

横浜の歴史の「4つの出来事」
  • 1859年 横浜開港
  • 1923年 関東大震災
  • 1945年 横浜大空襲
  • 1989年 横浜博覧会


忘れてはいけない横浜大空襲

1945年の横浜の空襲被害
全焼・半焼した住家数YRK10

「4つの出来事」のひとつ1945年の横浜大空襲を調べていく中で「横浜の空襲と戦災」という書籍に出会いました。

横浜市の委託を受け横浜市立大学の服部氏ら「横浜空襲・戦災誌編集委員」が市民や関係団体の協力を得てまとめられた全六巻の貴重な記録です。

終戦の年の1945年は横浜にとってアメリカ軍の空襲に脅かされる日々でした。

1945年の横浜の空襲被害 全焼/半焼住家数
  • 1945年2月:21戸
  • 1945年3月:21戸
  • 1945年4月:52,720戸
  • 1945年5月:81,005戸
  • 1945年6月:141戸
  • 1945年7月:8,303戸

特に1945年5月には空襲によって全焼と半焼の住家は8万戸を超え、最大の空襲が5月29日の横浜大空襲だったのです。

横浜の歴史上の出来事:横浜大空襲

イメージランドマークさくら
横浜の歴史を知るためにも横浜大空襲をもう少し調べてみましょう。

1945年5月29日のあの日の横浜の様子が少しだけ見えてきました。

横浜を襲った精密爆撃

横浜大空襲の5つの平均弾着点YRK10
1945年5月29日の午前8時12分に500機のB29が、午前10時45分に100機のP51戦闘機が21万個の焼夷弾を横浜に投下しました。

アメリカ軍は同年3月の東京大空襲などそれまでの経験を元にこれまで以上に正確に空襲を行うノウハウを得ていたのです。

焼夷弾を投下する場所(平均弾着点)を横浜の5ヶ所に定め2,570トンの焼夷弾攻撃を行ったのです。

平均弾着点として東神奈川、平沼橋(横浜駅近辺)、港橋(関内近辺)、吉野橋(吉田新田近辺)、本牧の5ヶ所に焼夷弾を集中させる一方で、外国人が居住する山手地区には被害が及ばないように空襲を行いました。

1945年5月29日だけで被害率46%

横浜大空襲の被害率YRK10
当時の神奈川県知事が内務大臣などに報告した「五・二九空襲被害状況ニ関スル件」では横浜市の被害率は46%であったとされています。

市内の人口約67万人に対して5月29日の横浜大空襲で罹災した人が46%に相当する約31万人で、そのうち死亡者は3,000人以上に及びました。

横浜市内では午前9時30分頃から火災が発生し、午後2時頃に鎮火しましたがこの日だけで79,017戸の民家が全焼しました。

横浜測候所の記録によればこの日の午前11時には平均風速16.7m、最大瞬間風速22mの南西の風が吹いており火災拡大に影響した可能性がありそうです。

横浜の「4つの出来事」のひとつ関東大震災による大規模な火災が発生した1923年9月1日にも南風が吹いていたという書籍「横浜の関東大震災」の記録を合わせて考えると何か因縁のようなものを感じるのは私だけでしょうか。

アメリカと横浜の関係

書籍「大空襲5月29日」によると「ミナト横浜はアメリカと因縁が深いから爆撃されないかもしれないと希望的観測をいだいた人もあった」と書かれています。

アメリカと横浜は日本の開港以前から関係を持っていました。

横浜開港前の1854年に日米和親条約を締結したM.C.ペリーは視察のため横浜の住民たちと触れ合いました。

その後、1859年に開港されて以降は人口の増加を見ても横浜がアメリカと交友を深めながら発展していったことが容易に想像できます。

1923年の関東大震災で横浜が被災した時もアメリカの軍艦による救助活動が行われたという記録があります。

つまり横浜の「4つの出来事」である「横浜開港」と「関東大震災」でアメリカと横浜は関係性を築いてきたと言えるでしょう。

横浜の人たちがどこかでアメリカは本気で横浜を攻撃しないだろうと希望的観測を抱いてしまうのもある意味、自然なことのように感じます。

1945年の横浜大空襲に続く終戦のあと、マッカーサーが山下公園近くのホテルニューグランドを本拠地として、関内など横浜の多くの土地がアメリカ軍によって接収地として占領されます。

現在、関内周辺で毎年行われているジャズのイベントもアメリカと横浜の歴史上の長い関係性から生まれたと言えるのかもしれません。


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まとめ

横浜の人口の推移を調べていく中で約4割の人口減少の要因になった「4つの出来事」のひとつ1945年の横浜大空襲を調べることに辿り着きました。

アメリカと横浜の関係性は1859年の開港以前から始まり、開港以降の関内周辺の発展に関係し、1923年の関東大震災においても支援を受けるという歴史上の出来事がありました。

戦争によって横浜とアメリカの間に「空襲」と「占領」という言葉が存在することになりました。

アメリカと横浜の不思議な縁を感じながら現在の横浜の街を散歩すると、また新たな興味深いことに出会うかもしれません。


参考文献

横浜市人口のあゆみ2010公式サイト
横浜の関東大震災
新版 大空襲5月29日 ―第二次大戦と横浜 (有隣新書19)
横浜の空襲と戦災〈3〉公式記録編 (1975年)

最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
これからも良質な情報をお届けできるよう精進いたします。
今後とも「途次大志の備忘録」をお引き立ての程、よろしくお願い致します。

途次大志

Title toji-taishi-no-bibouroku
途次大志のプロフィール紹介

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