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ビジネスシーンでの「プロジェクト運営」って大変だよね


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明治期の工部省の歩みがヒントになるかもね

このブログ記事にたどり着いて頂きありがとうございます。「途次大志の備忘録」の執筆者の途次大志(toji-taishi)です。

書籍「産業技術史」を読み進めようと思い立ち、まずは明治期の工業化の黎明期の概要を掴んでみました。江戸時代、海の外の世界との交流を大幅に制限されていた社会に、先進国との工業化の差を象徴するように、1853年ペリーが率いる黒船が登場します。この出来事が大きなキッカケとなって、身近にある知識や経験を駆使して工業化に励みました。黒船が来航してから10年後の1863年、薩摩藩や長州藩は自前で準備してきた軍事力を活かして西欧の国々に挑みます、これらが薩英戦争、下関戦争です。これまでの努力が水泡に帰すがごとく、結果は大敗。挫折・無力感を嫌というほど感じたことでしょうね。そこで投げ出すことなく、先人に学ぶべく、度胸と勇気を持って海を渡り、日本の工業化に必要な要点を理解して、日本に持ち帰り、新政府や工部省といった組織を立ち上げていきました。そうして、言わば、日本を工業化によって発展させたいという希望が詰まった工部省という組織でしたが、わずか15年ほどで組織の廃止へと追い込まれていきました。今回は、工部省の立ち上げというプロジェクトがどのような経緯を経て廃止へという結末に至ったのかを探っていきたいと思います。

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工部省の廃止までの流れ

工部省の廃止までの流れ
江戸城無血開城、西郷隆盛と勝海舟の会談によって江戸の街が消失することを免れたとはいえ、明治の新政府の誕生に、一滴の血も流れなかったというわけではないようです。

工部省の廃止までの流れに関連する主な出来事

1868年 戊辰戦争
1869年 維新政府の成立
1870年 工部省の発足
1877年 西南戦争
1880年代 官営事業の払い下げ
1885年 工部省の廃止

1868年に鳥羽伏見を皮切りに、函館の五稜郭まで続く戊辰戦争の末、維新政府が成立しました。新政府設立の2年後に、日本に産業を根付かせるべく工部省という組織が1870年に発足しました。新しい政府が抱える課題は、工業化だけではなく、多岐に渡ったことでしょう。1871年の廃藩置県もその一つと言えるかもしれません。藩主の下で、200年以上の人生を歩んできた人たちに動揺や混乱がまったくないという方が、むしろ考えにくように思います。そうした動揺や混乱の象徴が1877年の西南戦争なのかもしれません。いずれにしろ新しい政府は、戊辰戦争と西南戦争に代表される軍事衝突により、経済的に苦しい状況にあっったようです。日本の産業の発展を目指し、1870年に工部省を発足し、いくつかの官営の事業の運営を具現化してきましたが、1880年代にはそうした官営の施設を民間へと払い下げなければならないほど経済的に苦しかったということでしょう。こうして、政府が主導的に産業を発展させようと発足させた工部省という組織は、発足からわずか15年後の1885年に「廃止」という結末へとたどり着いたようです。

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産業技術に影響を与える様々な要因

産業技術に影響を与える様々な要因
1885年の工部省の廃止という歴史から、産業技術の発展には様々な要因が絡んでいるのだということを書籍「産業技術史」は教えてくれているように思います。資金つまり「お金」というのも、やはり重要な要因であることが、工部省の廃止へと至る過程を見れば、改めて理解できます。そもそも産業技術を活かす場としての「商業」というグラウンドが必要でしょうし、そのためには「株式会社」という組織体制を馴染ませる必要があるのでしょう。廃藩置県から西南戦争へと至る過程を見れば「政治」や「戦争」というのも関わってくるように感じます。また、こうした発展を成す人々が「平等」に活躍できるようにするということも必要なことのように思います。産業技術の発展という大きな政治課題でありながらも、決して、産業技術が単一で動けるものではなく、様々な要因とうまくバランスを取りながら進めていくことの難しさと重要性を再認識させてくれるように感じます。

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プロジェクト運営に役立つこと

改めて、上の図でまとめた工部省の廃止までの流れを見ていくと、現代のビジネスシーンでも遭遇する「プロジェクト運営」のヒントを学ぶことができそうです。

工部省の廃止に学ぶプロジェクト運営に役立つこと

①資金不足
②プロジェクト立ち上げ
③追い打ちの資金不足
④苦肉の策の実行
⑤プロジェクト終了

日本の産業を発展させるための核となる工部省の運営を、現代のプロジェクトに置き換えて考えてみることにしましょう。そもそも、新規プロジェクトを立ち上げるのであれば、資金をしっかりと準備する必要があるということかもしれません。1868年の戊辰戦争の戦費の影響で、新しい政府は、そもそも「資金不足」の状態でプロジェクトを立ち上げ、運営していかなくてはならなかったのです。そもそも難易度の高いスタートを切らざるを得なかったということなのかもしれません。「プロジェクトの立ち上げ」の後、1877年の西南戦争によって「追い打ちの資金不足」にプロジェクトは晒されます。プロジェクトの運営がさらに苦しくなり、工業化への大事な官営事業の施設を売り払うという「苦肉の策の実行」という手段しか残されていなかったのかもしれません。打てる手をすべて打ってしまえば、残される結末は工部省という組織自体の廃止、つまり「プロジェクト終了」ということなのでしょう。

こうして考えていくと、「資金不足」という苦しい状況でプロジェクトをスタートさせることの難しさを改めて感じさせられます。そこに次の大波である追い打ちの資金不足に襲われると、苦肉の策を実行したとしても、プロジェクト自体の存続はかなり危うくなるということなのかもしれません。状況が悪化している状態でのプロジェクト運営は困難であることを意味していて、プロジェクトをスタートさせるのであれば状況が良い間にしっかりとスタートさせておくということが大事なのかもしれません。良い時にこそ、備えをしておくということが肝要ということなのでしょう。工部省の発足から廃止までの歴史は、今を生きる自分に色々なヒントを与えてくれているように感じます。

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参考文献

新体系日本史11「産業技術史」中岡哲朗等 著

最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。これからも良質な情報をお届けできるよう精進いたします。今後とも「途次大志の備忘録」をお引き立ての程、よろしくお願い致します。 途次大志

Title toji-taishi-no-bibouroku途次大志のプロフィール紹介

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