関内の本町通りを散策していたら銀行の支店名に疑問を感じたよ
身近なことを知ると見える景色も変わってくるね
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「途次大志の備忘録」の執筆者の途次大志(toji-taishi)です。
せっかく横浜に住んでいるなら、この街の「歩み」くらいは知っておきたいと思うものです。とはいえ、休日に資料館や博物館を訪れるというも、なかなかできるものではありません。それでも、横浜を訪れてくれた友人に、身近な話題でサラリと横浜の歴史を伝えることができれば、きっと喜んでもらえるでしょうね。
ご存知でしょうか?
各銀行の「横浜支店」が「横浜駅周辺にはない」という事実を。
大阪出身とはいえ、20年以上も横浜で過ごしてきましたが、てっきり銀行の「横浜支店は横浜駅周辺にあるものだ」と思っていました。
銀行の「横浜支店」は横浜駅の周辺ではなく、本町通り(ほんちょうどおり)を中心にした関内周辺に集まっているのです。
横浜の一等地であることを示す銀行の「横浜支店」が、なぜ関内周辺にあるのか?ということこそが、この街の発展の歴史を現在に示す一部であると言えるのかもしれません。
今度、横浜を訪れた友人に伝えたくなりました。
横浜駅周辺に銀行の「横浜支店」がない
関内を散策していたら、本町通りを中心に銀行が立ち並んでいることに気付きました。ふと、三菱UFJ銀行のガラスの自動ドアに書かれた支店名を見てみると「横浜支店」の文字が見えました。店内が見通せる透明のガラスに白文字で書かれており、少し見にくいとはいえ、しっかりと「横浜支店」と書かれています。
「あれ?横浜駅周辺にも三菱UFJ銀行の支店がなかったっけ?」と調べてみると、横浜駅周辺に確かにあるものの、支店名は「横浜駅前支店」と「横浜西口支店」でした。
関内は確かに横浜三塔や横浜開港資料館もあり、山手、元町、みなとみらいと並ぶ横浜を代表する観光地であることは揺るがない事実でしょうが、てっきり銀行の「横浜支店」は横浜駅周辺にあるものだと思っていました。
銀行を利用することがあっても「支店名」をさほど気にすることなく過ごしてきましたが、こういう発見こそが散策の大きな楽しみのひとつです。
もしかしたら他の人にとっては当たり前のことであったとしても、自分がまだ知り得なかった事実を自ら足を運び、自ら知ることで、愛着が湧き、見慣れた日常がもっと楽しくなるものです。同じ風景を目にしても、知らないと「知っている」とでは大違いの味わいがあるものだとつくづく感じます。
銀行の「横浜支店」は関内周辺にあり
三菱UFJ銀行の「横浜支店」が、横浜駅周辺ではなく関内の本町通りにあることを確認したところで、他の銀行も調べてみました。
三井住友銀行も、みずほ銀行も、りそな銀行も、三菱UFJ銀行と同様に、横浜駅周辺に支店を持ちながら「横浜支店」の冠は全て関内周辺の支店に与えています。
これらの銀行の支店名に残された「横浜支店」こそが、この本町通りを中心とする関内周辺が、かつての金融の中心地であったことを今に伝える事実の一端と言えるのでしょう。
関内が古くは金融の地であったであろうことは、1923年の関東大震災を乗り越え、今もこの街にどっしりと佇む「正金銀行(現在の神奈川県立博物館)」の立派な建物からも容易に想像ができます。
友人に関内周辺を観光案内することがあれば、銀行の「支店名」という現代の生活感を伴った歴史の一端を紹介することで、より身近に横浜を感じてもらえるようになるのかもしれませんね。
銀行の「支店名」に残された横浜発展の歴史
「みなとみらいや中華街は、横浜駅からいったいどれくらい離れているのか?」というように、私のような大阪出身者も含めて、横浜全体を捉えようとする際には「横浜駅」を基点に考えがちではないでしょうか。
首都圏以外の全国から横浜への玄関口として、新幹線なら新横浜駅、飛行機なら羽田空港であるものの、ついつい「横浜駅」が考えの中心にしっかりと据えられます。
それゆえ銀行の「横浜支店」が横浜駅周辺にあるのだろうと思ってしまうのかもしれません。
ただ20年以上の横浜在住の経験と、少しだけでも横浜の発展の歴史を知ると、そう言えば、現在、これほどの乗降客数を誇る横浜駅の繁栄はせいぜい戦後からであったことを思い出すこともできます。
横浜の発展の歴史を考える時には、4つの出来事を境に5つの区分で考えると頭の中の整理がしやすくなります。
- 横浜開港(1859年)以前
- 横浜開港(1859年)以降
- 関東大震災(1923年)以降
- 横浜大空襲(1945年)以降
- 横浜博覧会(1989年)以降
上記の別記事でもご紹介した通り、1859年の横浜開港から1945年の横浜大空襲までの間、ずっと横浜の中心地は関内でした。途中の1923年の関東大震災を機に横浜駅が現在の場所に据えられても、現在の横浜駅周辺の賑わいを想起させるような繁栄とはいきません。むしろ横浜駅周辺は「日本一、淋しい駅前」と呼ばれていました。
戦後に関内がアメリカ軍に占拠されることで代替の中心部として、ようやく横浜駅周辺が現在の私達が描くイメージに近い街として発展を遂げていきました。
このような横浜の発展の歴史を知ると、銀行の「横浜支店」が横浜駅周辺ではなく、関内周辺にあるということが頭の中で結びついてくるように思います。
まとめ
散歩中に見つけた銀行の「支店名」という身の周りの些細なことでも、横浜の発展の歴史を重ねて「知っている」と楽しくなるものです。
海外の街を観光しているとオールドタウンと呼ばれる地区に出会うことがあります。横浜で異国情緒を感じさせる理由のひとつが、関内というオールドタウンの存在なのかもしれませんね。
参考文献
最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。これからも良質な情報をお届けできるよう精進いたします。今後とも「途次大志の備忘録」をお引き立ての程、よろしくお願い致します。 途次大志