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ぴよぴよ

薬(くすり)の歴史はそれぞれの時代背景と関係があるのかな?


みかんみかん

たとえば軟膏タイプの薬は戦国時代に発展したみたいだよ

このブログ記事にたどり着いて頂きありがとうございます。

「途次大志の備忘録」の執筆者の途次大志(toji-taishi)です。

YR24日本の薬の歴史年表に
横浜が登場するのは明治時代以降
アラフィフともなれば、美味しいものをちょっと食べ過ぎたり、濃いコーヒーをそのままブラックで飲み続けていたりすると、たびたび胃の上部に違和感を覚えるようにもなります。こんな時は、薬箱の買い置きしておいた胃腸薬はなんとも心強い存在です。

現代人にとって当たり前のように行う「買い置きの胃腸薬」の慣習は、どうやら江戸時代から始まったようです。和服にちょんまげ姿の当時の人たちも、私と同じような思いをしていたのかと思うとなんだか親近感が湧いてきますね。

横浜に住んで20年以上ということで、身近な物事を知ろうと横浜の歴史を調べている中で、どうやら薬(くすり)の歴史にも横浜が関係しているということを書籍「横浜のくすり文化」は教えてくれます。

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日本の薬の「ざっくり」とした歴史年表

YR24江戸時代以前の
日本の薬の年表
文末の参考文献でもご紹介している通り、書籍「横浜のくすり文化」をもとに、まずは江戸時代以前の日本の薬の「ざっくり」とした歴史年表を整理し、横浜との関わりを探っていくとします。

日本の薬の歴史のポイント
  • 奈良から室町時代:「漢方薬」中心で超貴重品
  • 戦国時代:軟膏など「和漢薬」が大活躍
  • 江戸時代:前期から売薬が発展し後期は「蘭方薬」

奈良時代の薬は超貴重品

YR24奈良時代から室町時代の薬
中国大陸の文化を大きく影響を受けていた奈良時代に「漢方薬」が登場します。
現代のように自宅の薬箱にあるという代物ではなく、権力者たちの貢物として扱われるくらいに薬は貴重品だったようです。

そう言えば吉川英治氏の書籍「三国志」で「茶が超貴重品だった」ということが描かれていましたが、現代のように生産体制も物流も確立していない奈良時代なら薬が超貴重品であったであろうことは容易に想像ができますね。

「生薬(しょうやく)」つまり草根木皮などの植物や鉱物を精製せずに調合した薬のことで、当時は科学的というよりも経験則だけで組み上げられた手法で作られていました。

今でも、漢方薬と言えば土色に乾燥した細長い「人参」を思い浮かべますが、奈良時代から人参は漢方薬の原料として親しまれていたようです。歴史の教科書で習った室町時代の「勘合貿易」で知られる中国との日明貿易でも、人参が盛んに取引されていたようです。

戦国時代は軟膏が重宝

YR24戦国時代の薬
鎌倉時代にも海外からの脅威だけでなく政権を争う戦いも数多くありましたが、やはり戦国時代の戦いは桁違いだったのでしょう。この頃に戦いの負傷者を治療する「軟膏」が多く使われるようになったようです。刀傷や創傷には患部に塗ることができる軟膏タイプの薬を確かに選びたくなりますよね。

度重なる戦いで薬の必要性が増し種類も増えていきました。
縄文時代から知られていた日本古来の「和薬」と中国からの「漢方薬」の経験則を組み合わせた「和漢薬」が登場してきたのも戦国時代からのようです。

この頃には刀や槍という武器に加え「鉄砲」が戦いの場で用いられるようになり、南蛮医学に基づく治療も登場してきます。

良くも悪くも時代の需要に合わせて、日本での薬の歴史もまた大きな影響を受けてきたことがわかります。

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江戸時代の売薬と言えば胃腸薬

YR24江戸時代の薬
徳川政権になり戦乱の世が落ち着きをみせ始め、街道の整備など物流が発展していくと、特に江戸や大坂での食生活も変わっていきました。人々が美味しいものをお腹いっぱい食べる機会が増えると、現代を生きる私たちと同じように胃腸の不調を感じる人も増えていきました。

江戸時代には薬は「売薬」と呼ばれ、商売の種となる商品として広く扱われるようになりました。売薬の多くは「胃腸薬」だったようで、戦国時代に刀傷治癒のために軟膏が普及した歴史と比較すると、江戸時代が戦いの少ない平和な時代だったことがわかります。

鎖国をしていたとはいえ、オランダや中国など一部の国との限定された交易は行われていたため「蘭方薬」とも呼ぶべき海外の薬も日本で使われるようになっていきました。

教科書で習った杉田玄白の「解体新書」が登場し、蘭学が盛んになってくると薬を飲んだり塗ったりするだけでなく外科手術による治療方法も行われるようになっていきます。

司馬遼太郎氏の書籍「歴史のなかの邂逅6」に収録されている「無名の人」という作品の中で、大坂の緒方洪庵の蘭学所「適塾」で学んだ所郁太郎(ところいくたろう)という青年が、長州藩の内乱で凶刀に襲われた瀕死状態の井上聞多(後の井上馨)の命を外科手術で救うというエピソードが描かれていますが、蘭学という学問が時代に影響しているということも忘れてはならないことなのでしょう。

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まとめ

YR24江戸時代後期の
蘭学の動向
薬の日本での歴史を追っていくと、それぞれの時代背景との結びつきを感じることができました。

奈良時代に中国から生薬の「漢方薬」がやってきて、戦国時代になると負傷者の治療のために多種多様な「和漢薬」が登場し、さらに塗布治療が可能な軟膏が重宝されるようになりました。平穏な江戸時代になると以前は貢物になるくらいの超貴重品であった薬も、人々の間で「売薬」として商売の種として扱われ、食文化の変化もあり胃腸薬が盛んに取引されるようになっていきました。交易が制限された中でも「蘭方薬」が日本に伝わり、蘭学の普及にともなって外科手術も行われるようになったことで、病や痛みを和らげる単なる薬だけの存在から、命を救う医学の一部として発展していったと言えるのかもしれません。

めでたし、めでたし。
ところで「横浜は?」ということですよね。

実のところ1859年に横浜開港を迎えるまで、これまで紹介してきたような薬の歴史年表のメインステージに横浜村は一切登場しません。蘭学の動向を見ても、蘭学者である宇田川榕菴や「解体新書」で知られる杉田玄白、神田お玉ヶ池に種痘所を建てた伊東玄朴などの活動拠点は現在の東京、つまり江戸で、「適塾」で知られる緒方洪庵は大坂でした。

横浜が薬の歴史のメインステージに登場するのは江戸時代が終わり明治時代を迎えるまで待たなければならないようです。

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参考文献

「横浜のくすり文化」杉原正泰・天野宏 著
「歴史のなかの邂逅6」司馬遼太郎 著
「三国志」吉川英治 著

最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。これからも良質な情報をお届けできるよう精進いたします。今後とも「途次大志の備忘録」をお引き立ての程、よろしくお願い致します。 途次大志

Title toji-taishi-no-bibouroku途次大志のプロフィール紹介

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