ネガティブな状況で勇気を持つなんて難しいよね
歴史を知ると少し励まされる気分になるかもね
横浜の歴史を知っていけばいくほど、現在の日本の社会の姿が「明治時代、横浜が開港されてから形づくられてきた」とい…
分厚い書籍「産業技術史」を読み進めて、一刻も早く、鉄道産業や化学工業などの各論を読み進めたいところですが、それらを味わうためにも産業技術史の概略を、可能な限り見やすいカタチで整理しておこうと思っています。私なりに、産業技術史を5つの時代区分に分けてみました。
1. 第1期 世界大戦前:1913年まで
2. 第2期 世界大戦期:1914年〜1945年
3. 第3期 世界大戦後:1946年〜1954年
4. 第4期 高度成長期:1955年〜1973年
5. 第5期 成長期以降:1974年〜
横浜の歴史を調べていたときも同様に、5つの時代区分を予め設定しておくことで、たとえば横浜中華街の関帝廟の歩みを整理するのに非常に役立ちました。
産業技術史も5つの時代区分に分けて、それらを下敷きにして、各種産業の歩みを整理していくと理解しやすいのではないかと感じています。産業技術史の時代区分を行う上で、第一次・第二次の世界大戦と日本の高度経済成長期の2つがキーワードになりそうに感じました。そこで、「世界大戦前」「世界大戦期」「世界大戦後」と「高度成長期」「成長期以降」の5つの時代区分にしてみました。まずは第一次・第二次世界大戦よりも前の「第一期 世界大戦前」について整理してみましょう。
第1期 世界大戦前:1913年まで
1914年に第一次世界大戦が勃発するため、1913年までを産業技術史の第1期として「世界大戦前」と設定してみました。日本では1859年に横浜が開港し、1867年に大政奉還・王政復古が果たされました。海外では1867年にパリ万博が開催され、日本でも1877年に内国勧業博覧会が開催されました。文明開化を果たし、紆余曲折がありながらも経済的にも発展はしていきましたが、松方不況と呼ばれる大不況もあり、その不況から1886年に脱却し、1889年に大日本帝国憲法が発布されます。その後、1894年に日清戦争、1904年に日露戦争が勃発します。これらが1913年までの日本を取り巻く主な出来事です。
官と民による産業技術の発展
このような1913年までの歴史の中で、「官」と「民」の2つの領域で産業が発展してきたことは以前に整理した通りです。そもそも明治期の発展の礎となったのは、「官」を中心とした江戸時代までの「蘭学」への向学心があり、命懸けで「留学」に挑んだ勇気であったことを忘れたくはないものです。自力だけで発展することに限界を感じると、産業技術の先人である「お雇い外国人」に教えを請いました。歴史的な背景を考えると、経済的な理由だけでなく、外国人に教えを請うという行動自体も簡単なことではないのかもしれません。「民」ではこれまた江戸時代までの「在来手工業」の知識と経験が「株式会社」や「平等」という仕組みや概念の普及により、輸出においてたくさんの外貨を稼ぎ出しました。いずれも、無から有が一夜にして現れたのではなく、江戸時代までの土台の上に積み重ねられたことと、困難に負けることなく挑戦する意思と実践が、どうやら発展を果たすということには不可欠なように思えてなりません。
横浜の歴史から興味が湧いてきた日本の産業の歩みを知るために、分厚い本「産業技術史」を読み進めることにしました。…
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リバースエンジニアリング
1913年までの産業技術史の発展において「リバースエンジニアリング」というキーワードが挙げることができそうです。私もこの言葉を初めて知りましたが、図面をもとに製品を造るというのが通常ですが、「製品をもとに図面を起こす」ということのようです。製品を分解して、部品や仕組みを理解するということでしょう。こうした過程を踏んで図面を作り、その図面から改めて製品を造っていけるということなのでしょう。この「リバースエンジニアリング」が日本で行われるようになったのは、必然とも考えられなくはないですが、必要性を高めた背景があったようです。
1859年の横浜開港以来、輸出が増えて行きましたが、素材や生産設備を輸入し、出来上がった製品は海外企業が運営する外国船で輸送を行っていたようです。輸出は確かに増大はしていきますが、日本の儲けは製品の売上だけであり、折角、設けた外貨も素材コスト、設備コスト、輸送コストとして、海外へ消えていき、貿易収支は赤字になってしまったようです。こうして輸入代替、つまり内製化の必要性が高まります。
1896年に航海奨励法や造船奨励法が制定され、日本に海運会社や造船会社が誕生し、1907年にはタービン船「天洋丸」が建造されました。1901年には官営の八幡製鉄所も稼働を開始し、日本に製鉄会社や製鉄所が誕生していきます。そして、この時に用いた方法が、海外の製品から図面を起こす「リバースエンジニアリング」という方法だったようです。貿易赤字というネガティブな状態がリバースエンジニアリングを用いて新しい企業を誕生させたとも言えるかもしれません。
ネガティブな状態を嘆くばかりではなく
生活やビジネスでも、必ずと言ってもよいほどにネガティブな状態は訪れるものでしょう。そんなネガティブな状況では嘆きたくなるものです。嘆きたくなる気持ちは十分に理解できながらも、嘆いてばかりいたのではいけないのだと歴史が教えてくれるように思います。この1913年まで、つまり第一次世界大戦が始まる前までの産業技術史の第1期には、現在も続く多くの企業が誕生しています。
<海運業>
・日本郵船
・大阪商船(商船三井)
・東洋汽船
<造船>
・三菱長崎造船所
・川崎造船所
・大阪鉄工所(日立造船所)
<鉄鋼>
・日本鋳鋼(住友鋳鋼)
・神戸製鋼
・川崎造船所鋳鋼部
・日本鋼管
リバースエンジニアリングという方法を知っていたとしても、その実践には貿易赤字というネガティブな状況が必要だったようにも感じます。「製品から図面を起こす」と口にするのは簡単ですが、日々の業務も流れる中で、同時並行でその大きな仕事に取り組まないといけないということでしょう。なかなかに大変なことであることは容易に想像できます。ただこうした挑戦がなければ、上記で挙げた企業がこの時期に誕生しなかったでしょう。ネガティブな状況を嘆いてばかりではなく、むしろチャンスと捉えて、歴史を見習って前向きに取り組むことができれば良いのでしょう。
世界大戦前までの産業技術史を整理してみました。リバースエンジニアリングという手法で内製化を果たし、日清日露戦争を経て、次に待ち受ける歴史区分は世界大戦期です。世界大戦期の産業技術史はどのように展開されたのでしょう。
今回は、第2期の世界大戦期の1914年から1945年の産業技術の歴史を整理してみましょう。
参考文献
新体系日本史11「産業技術史」中岡哲朗等 著
このブログ記事にたどり着いて頂きありがとうございます。「途次大志の備忘録」の執筆者の途次大志(toji-taishi)です。
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