子どもの存在が「人生に豊かさを与えてくれる」と考える人は多いみたいだよ
え???そしたら私たち子なし夫婦はどうしたら良いのかな?
このブログ記事にたどり着いて頂きありがとうございます。
「途次大志の備忘録」の執筆者の途次大志(toji-taishi)です。
いろいろな独自の価値観を大切にして生きていこうとする人が多くなってきたように感じます。結婚して夫婦となっても、夫婦なりの価値観を大切に生きていきたいものです。子どもは人生に豊かさをもたらせてくれる存在だと感じる人も多いようですが、私たち夫婦のような子どもを授かることができなかった夫婦はいったいどうしたら良いのでしょう。
- 「豊かさ」の定義
- 情報の収集
- 体感
子なし夫婦が豊かなライフプランを描く手順
子どもを授かることが極めて困難となった子なし夫婦の私たちが「人生をどうやって豊かにしていけば良いのだろう?」と考えていた頃、いろいろなことに思いを巡らせていました。私たちなりの「豊かなライフプランを描く手順」を整理したことで少し気分が軽くなったように感じています。
豊かさを感じるのはどんな時だろう?
以前の記事で、国の機関が行った「出生動向基本調査」で、夫婦が子どもを持つ理由として「子どもがいると生活が楽しく豊かになるから」と回答した人が8割近く存在していました。
人生に豊かさを与えてくれるものは子どもだけではないとは言いながら、やはり夫婦にとって子どもの存在は大きいように感じます。
「どうせ子どもを授かれない私たちには、人生に豊かさを期待できないよ」とへそ曲がりな事を言っていても、周りの家族や友人たちも、なにより自分たち自身に良いことはなさそうです。
私たちは、まず「私たち夫婦にとっての豊かさとはなんだろう?」と夫婦二人で考えることにしました。その私たちなりの豊かさの定義の中に、子なし夫婦であるがゆえのメリットを取り込んでいければ良いなと思っています。
しかし、これが実はかなり難しいということに気付きました。
他の人はどんなことに豊かさを感じるのだろう?
いざ、私たち夫婦にとっての「豊かさ」を定義しようすると、パタリと足が止まってしまいました。正確に言うと、考えれば考えるほど「なんだろう?」ということになり、堂々巡りをしている気分になるものです。
そこで、周りの人はどんなことに「豊かさ」を感じているのだろう?と情報を集めてみることにしたのです。
年に何回か海外旅行に出掛ける夫婦、高級な温泉旅館で過ごすことを楽しみにしている夫婦、野外ライブで星空の下でキャンプを満喫する夫婦、週末全部を使ってゲームに没頭する夫婦、いろいろな豊かさがあることに気付きます。
自分たち夫婦の豊かさを定義しようという目線で、情報を集めていくと、周囲の評価などを気にすることなく、夫婦が一緒になって楽しいと思えることが大事なんだろうなという「当たり前のこと」に気付かされます。
そこで、私たち夫婦の「豊かさ」を定義するためにも、少しでも夫婦二人が興味をもつことを可能な限り実践してみようと思うようになりました。
どんな豊かさを感じることができるんだろう?
子なし夫婦のメリットには、養育費が掛からないという経済面のメリットや学校行事に振り回されないという時間面のメリットなどがあると考えれば、夫婦二人が関心を持つことを「実践しない言い訳は見つかりにくい」ものです。
いろいろと夫婦二人で体感していくことで気づいたのは「イチゼロではない」ということかもしれません。
たとえば刺激的な海外旅行やすべてがパーフェクトな高級温泉旅館に、毎年続けて行ってみると、私たち夫婦の場合は「数年に一度くらいで良いね」という合意に落ち着きます。決して「まったく豊かさを感じない」ということでもなく、「どんな犠牲を払ったとしても成し得たい」と思えるほどの豊かさではないということを体感として得ました。つまり周りの人の「豊かさ」の多くは、私たち夫婦にとってグラデーションの一部というか、「無くては困るかもしれないがほどほどで良い」ことが多いということに気付かされたのです。
つまるところ、私たち夫婦にとっての「豊かさ」の定義は、なにか「コレだけ」というものではなく「その時々に関心が湧くものをやってみる」ということなのではないか?という結論に近づいていきました。
きっと、この結論の違いこそが、多様性であり、その私達夫婦の結論にたどり着けたことに大きな意味があるように思いますし、さらにはこの今の結論も将来には変化しているのかもしれません。
子なし夫婦だからこそ豊かなライフプランを描きたい
子どもは人生に豊かさを与えてくれる存在であると多くの人が感じることでしょうが、だからと言って、私たち子なし夫婦が人生に豊かさを諦めてしまう必要はないのだろうと思います。子どもだけが「豊かさ」に寄与する絶対的な要因でないように、お金や時間も豊かさの「絶対的要因ではない」ように思います。
豊かさには自由に使えるお金が必要?
子どもだけが「豊かさ」に寄与する絶対的な要因でないように、お金もまた豊かさの絶対的要因ではないように思います。
厚生労働省の調査の日本の所得と可処分所得の推移を調べてみました。言葉が少々とっつきにくいですが、ここでは所得は「額面」、可処分所得は「手取り」つまり使えるお金という程度で良いでしょう。
額面に応じて手取りも変化しており、1991年がバブル経済の崩壊とすると不思議な感じもしますが、1994年と1997年が額面と手取りのそれぞれのピークだったようです。
1980年代のバブル期には、社会的には「豊かさ」の声を多く聞いた記憶があります。この記憶と額面や手取りのデータを照らし合わせると、経済的な「豊かさ」とはお金が多くある状態ではなくお金が増えていく状態に感じるものなのかな?という気がしてきますね。
豊かさには自由に過ごせる時間が必要?
本記事の文末の参考文献でご紹介している熊谷徹著「ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか」も、私たちなりの子なし夫婦が豊かなライフプランを描く手順を考えるヒントになりました。
仕事やプライベートで訪れた海外の人たちは「どこか豊かに暮らしている」ように感じたことがありましたが、その背景や理由をこの本は説明してくれています。
私の体験としても、ドイツに比べて日本の方が祝日が多いことを、ドイツの人と話していて初めて気付かされました。念のため2021年のドイツ大使館と内閣府の情報を調べてみると、確かにドイツ全土としての祝日数が10日であることに対し、日本の祝日は16日でした。
実際に仕事でやり取りのあるドイツ人を含む欧州の人たちは、夏には2週間から1ヶ月くらいの長期休暇を取得し、年始のお正月休みは日本に比べれば少ないもののクリスマス休暇は1週間くらい取得しています。彼らの休みに合わせて、私たち日本人も仕事のスケジュールを調整していきます。
個人的には、この「有給休暇を取得する」というのは文化であり、「それぞれの社会の共通認識」によるものなのだろうなと感じています。一週間も休むと業務が成り立たないと感じてしまいますが、実は日本もお盆休みやゴールデンウィークの長期休暇は存在し、業務が成り立っている会社が多いことに気付きます。
「それぞれの社会の共通認識」という観点を持てば、ドイツの人たちが豊かにくらしているように日本人が感じる背景や理由が見えてくるように思います。
いろんな国のいろんな人のいろんな生活
OECDという世界的な機関が調査した2021年の国ごとの可処分所得(ここでは「手取り」)の比較を見てみると、熊谷徹著「ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか」の年290万円の根拠が2018年だったことを考えると、ドイツは343万円(2021年)に増えているようです。
ドイツの人たちは「社会の共通認識」から得られる豊かさだけでなく、手取りが増えていくという豊かさをも感じているのではないかと考えられるのかもしれません。
個人的には、生活水準が高いと言われるスイスや、北欧の国々なども気になるところです。
まとめ
結婚して20年以上の子なし夫婦の私たちが「人生をどうやって豊かにしていけば良いのだろう?」ということを出発点に、いろいろと考えを巡らせてみました。
私たちなりの「豊かなライフプランを描く手順」を導き出し、最近の私たちが豊かに感じることは「その時々に関心が湧くものをやってみる」ことだと感じています。
将来、この私たちにとっての「豊かさ」の定義がそぐわなくなってきたと感じたら、また手順に則って考え、実践していけば良いのかな?と思えるだけでも心持ちが少しでも軽くなるように思います。
参考文献
厚生労働省「世帯主年齢階級別 平均等価可処分所得金額の推移」
熊谷徹著「ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか」
最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。これからも良質な情報をお届けできるよう精進いたします。今後とも「途次大志の備忘録」をお引き立ての程、よろしくお願い致します。 途次大志